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レッジョ・エミリア市を含むイタリア5都市の幼児施設と世界遺産を訪問~世界遺産編02~

第11回 欧州視察 (イタリア) 250906-250914

250906 – 250914

世界遺産と都市空間の視察 その2

海外研修見学会として、前回の記事に引き続き、研修で訪れた世界遺産や都市空間についてご紹介いたします。
歴史的建築や再開発地区の視察を通して見えてきた、イタリアにおける都市と建築の関係性についてお伝えしていきます。

ボルツァーノの旧市街地
ボルツァーノ アルト・アディジェ州 ボルツァーノ自治県

ボルツァーノの旧市街

中欧のような街並みのボルツァーノ

ボルツァーノはイタリアの北東部に位置し、世界自然遺産のドロミティ(東アルプス山脈の一部で急峻な岩山群)観光の玄関口になります。

一時期ドイツ語圏のオーストリアの領土だったこともあり、イタリアの他地域では見られない中欧の文化が入った独特の雰囲気がある魅力的な街です。

ボルツァーノ駅周辺は、旧市街地が残っており、15~18世紀に建てられた街並みは、アーチ回廊のポルティチや、エルカーと呼ばれる出窓や漆喰の装飾、パステルカラーの色彩などが見られ、中欧のような雰囲気を感じることが出来ます。

ミラノ中央駅
ミラノ ロンバルディア州

世界で最も美しいといわれる鉄道駅

ミラノ中央駅は、1931年に完成したイタリアでは2番目の利用客数を誇るターミナル駅です。ファシズム時代の威厳を放つ巨大なスケールと、アール・デコやリバティ様式による装飾的な美しさが組み合わされています。

ファシズムの指導者ムッソリーニの時代には、彼と追随するファシストらが必要としたためにファシズムを象徴するリットリア様式の建築物が多く造られ、中でも目立つものがミラノ中央駅舎ですが、ムッソリーニの負の記憶がそうさせるのか、地元の人々の評価は賛否両論あります。

しかし、かの建築家フランク・ロイド・ライトに「世界で最も美しい鉄道駅」と言わしめただけのものはあり、後世に存続させていく価値のある建築には違いありません。

ミラノ中央駅

ミラノの大聖堂(ドゥオーモ)、ガッレリア
ミラノ、ロンバルディア州

ミラノの大聖堂ドゥオーモ

街のシンボル ミラノ大聖堂

ミラノ大聖堂は世界最大級のゴシック建築であり、街の象徴ともいえる存在です。全長158m、幅92m、高さ108mの威容を誇り、1386年着工後、5世紀もの歳月をかけて多くの芸術家によって完成された結果、その長い歴史の中で様々な建築様式が融合されました。屋根の上には大小合わせて135本の尖塔が林立し、そのすべてが繊細な装飾で彩られています。尖塔の天辺ひとつひとつには聖人の彫像が施され、信仰と芸術の融合を物語っています。

ミラノ大聖堂広場とスカラ座を繋ぐガッレリア(回廊)は、当時歴史的地区の再開発プロジェクトのコンペにより選定されたボローニャの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって設計され、1877年に完成しました。新古典主義の建築と、近代の鉄骨やガラスを組み合わせたアーチ型のガラス天井によって構成されています。

十字型(南北200m、東西100m)に続く回廊は床のモザイク画や天井のフレスコ画による装飾が施され、ミラノの都市空間のシンボルの1つとなっています。

ミラノの大聖堂ドゥオーモ

最後の晩餐、サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会、ドミニコ会修道院
ミラノ、ロンバルディア州

最後の晩餐

ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」

イエス・キリストと12使徒による「最後の晩餐」を題材にした壁画は、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の1つです。壁画は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたもので、420cm×910cmの巨大な作品で、1980年にこれを所蔵する教会とともに世界文化遺産に登録されました。

壁画は通常フレスコ画の技法という漆喰壁が柔らかいうちに絵を描き上げて、顔料を定着させますが、遅筆で有名なレオナルドは漆喰が乾いた後、テンペラ画の技法(キャンバスや板への油彩等による重ね塗りの技法)で描きました。その結果、壁画は経年による浸食や顔料の剥離が進行したため、これまで数度にわたり修復が行われました。直近の修復は25年程前に行われ、500年前のペイント方法(点描)や顔料を研究して再現されています。

建築が証明する深い歴史

イタリアにある数多くの建築から歴史の重みを感じ、また、彫刻やフレスコ画など、繊細で美しい装飾を施された街全体からは、さまざまな時代を見ながら今日まで残ってきたことを感じて圧倒されます。

存在感あるシンボル的な建築物と、街に馴染んで使い込まれる建築物。双方がゆっくりと時を刻んだ結果がイタリアの美しい風景を作り出し、私たちを魅了しているのです。

歩くだけで過去の時代にいるような感覚になると同時に、私たちが創る建物も、時を経ても人々の生活や街に溶け込み、なくてはならないものになるよう努めたいとあらためて考えました。